本文へ移動
   なんがく
渡辺南岳 鯉図屏風

各146.0×348.4㎝

江戸時代後期 紙本淡彩 6曲1双


実際の比率に応じて鯉と松を大きく配しますが、強い主張をもって迫ってくるような圧倒感は軽減されています。濃い墨による輪郭線や岩絵具の使用を抑え、淡めの墨と淡彩を面的に使用し、紙の白さに溶け込むように柔らかく表現しているからで、動植物の形態感や立体感を表出する円山派や四条派の特徴です。


本図を描いたのは、円山派の祖・円山応挙に学んだ渡辺南岳(1767~1813)です。20代後半には、与謝蕪村の高弟・高井几董門であった宮紫暁や在原買山、下村春坡らが編纂出版した俳書や一枚刷の挿絵を手掛けています。

特に呉服商「大丸」の創業者・大文字屋彦右衛門正啓の孫にあたる春坡とは、実際に交流を持ち、その俳席にも参加して、


  初冬の白きものにはかもめかな

  こころにもあらでしずけしほたる売


といった句を残しています。

享和2年頃から文化元年までおよそ3年にわたって江戸に滞在し、特に江戸俳諧三大家のひとりとうたわれた鈴木道彦とは親しく交わったようです。


江戸画壇の巨頭であった谷文晁の嗣子・谷文一や門弟の大西椿年、鈴木南嶺などに画を伝授しており、円山派の画風を江戸に伝えました。


文化10年1月4日、新年早々に47歳という若さで世を去った南岳の訃報は江戸にももたらされ、文化人らに衝撃を与えました。実際に交流のあった江戸琳派の画家・酒井抱一も、


春雨にうちしめりけり京の昆布(こぶ)


という句を詠じています。春雨によって湿ってしまったという「昆布」ですが、逆に正月飾りにも使われるめでたい縁起物であることを思うと、ますます寂しさを感じさせる内容と理解できるはずです。

(杉本欣久 東北大学)

【関連論文】


TOPへ戻る