楽翁公旧蔵古瓦 50点
飛鳥~室町
寛政の改革で知られる老中・松平定信(楽翁)旧蔵の古瓦50点(うち1点は瓦経)です。
全品を収録した拓本帖が付属しており(4点は絵図)、考古学者・高橋健自の序文によると、もとは浅草福井町にあった松平家下屋敷の茶室を囲む土塀に嵌め込んであったものといいます。
当時の所有者である山田宗兵衛によれば、維新後、料理屋となっていた屋敷跡の庭に散在する古瓦に興味を抱いた伯父がその由来を聞き、松平家に保管されていたなかから52点を譲り受けたとあり、親戚に贈った2点を除くすべてが現在研究所に伝わっていることになります。
研究所の古瓦を見ると、側面に残る漆喰の痕跡から土塀に埋め込まれていたことがうかがえ、なかには寛政七年の墨書もあります。
定信は古物とともに造園にも強い関心を示し、小石川大塚の抱屋敷に造営した六園と名づけた庭園には、彼が編纂させた図録『集古十種』の原本などを収めた蔵が建つ集古園という一角がありました。
実はこの集古園を囲むのが古瓦を嵌め込んだ「古瓦塀」でした。
明治になって浅草福井町へ転居するにあたり、六園から土塀の一部を移築したか、保存されていた古瓦を用いて新造したと推測されます。
定信は随筆『退閑雑記』に「何かの役に立つからではなく、ただ好きだから無用である古瓦を愛好するのだ」と記すほど古瓦に強い関心を示しました。
仙台藩士・吉田友好による『仙台金石志』には「白河侯所蔵古瓦目録」として267点を挙げており、収集の全貌を知ることができます。
しかし、全85冊からなる『集古十種』には古瓦が含まれていません。
古瓦篇の出版を意図していたとの説もありますが、古制を知る資料としてより重要視した碑銘や鐘銘、扁額などを優先的に採録したのでしょう。
(川見)