各91.4×35.8㎝
江戸時代後期 絹本着色
朝霞をまとい、あけぼのに染められた夜明けの空を背景とする「暁」の桜、闇に包まれてシルエットで浮かび上がる「夜」の桜、それぞれをいろどりと水墨によって対比的にあらわした鈴木其一(1796~1858)の作品です。
酒井抱一をはじめ「江戸琳派」と呼ばれる流派は、宗達から光琳の画系を連続的にとらえ、自らも連なるべくその画風に倣いました。この抱一の後継者と目され、代筆を行っていたと伝えられるのが、子飼いの門人であった其一です。
種々の色や濃淡の異なる墨を混ざり合うように加えた光琳風の技法「たらし込み」による草花図ではないため、「琳派」という先入観でみてしまうと「イメージと違う…」と思われるかもしれません。
なるべく輪郭線を用いず、墨や染料を面的に塗布する「没骨」という表現の代表選手は、たしかに宗達や光琳と言えるでしょう。
けれども、のちに京都で隆盛した円山派や四条派も、やはり輪郭線を用いずに墨や染料のグラデーションで面的に表現する「付け立て」という技法を多用しています。
対象物を輪郭線でくくると画の印象が強くなります。質素を旨とする京都の生活空間において、そのように強い存在感を示す作品を床の間に掛けてしまうと、全体の調和が乱され、むしろそれが邪魔なものに思えてきます。
その観点からすれば、「没骨」は京都の嗜好によって育まれ、研ぎ澄まされ、継承されてきた絵画表現のひとつとみることが可能でしょう。
江戸の地で生まれ育った抱一や其一にとっては、それがいかにも京都らしい表現に見えたわけで、宗達や光琳にとどまらず、当時流行していた円山派や四条派の画風も積極的に取り入れたとみることができます。「琳派」という言葉の概念に縛られてしまうと、この「暁桜夜桜図」の存在を理解するのは難しいでしょう。
(杉本欣久 東北大学)