せんこうしゅく
銭弘俶八万四千宝塔
現高15.1㎝
五代・顕徳2年(955)
中国呉越国王の銭弘俶(948~978)がアショーカ王(阿育王)の八万四千塔造立の故事にならって製作させた銅製法舎利塔のひとつで、会稽鄮県(ぼうけん)の阿育王寺にあった阿育王塔をモデルとしています。
宝篋印陀羅尼経を納めて各地に配布され、日本にも500基がもたらされたと伝わりますが、現在国内で確認されている銅製の小塔は完形品9基と破片2点のみです。
基壇と塔身、屋蓋、屋蓋上の相輪、四隅の方立(ほうだて)が別々のパーツとしてつくられ、溶接されています。相輪の先端が欠けていますが、中国の出土品によると本来は七層あったようです。
内側の一面には鈎がつくられ、別の一面には「呉越国王銭弘俶敬造八万四千寳塔乙卯歳(顕徳二年:955)記」「乙」の銘文が見られます。
基壇の各面には、蓮華座の上に三体の如来形坐仏、方立の外側には神将像、内側に如来坐像をあらわします。屋蓋上の相輪が立つ土台も蓮華座です。基壇の坐仏脇のくぼみには彩色や金泥の痕跡をとどめています。
塔身側面の図像はガンダーラの浮彫をもとにしたお釈迦さまの前世物語(本生話)で、正面にはサッタ太子変(飢えた虎に身をささげる)、右側面には月光王変(バラモンに自らの頭を切らせて布施する)、ほかの二面にはシビ王変(鳩を助けるために鷹に身をさしだす)、スダナ太子変(子ども二人を縛りバラモンにさしだす)の場面が描かれています。
インド・ガンダーラ・中国と、時間的にも空間的にも幅広い意義をもつ小塔です。
(石谷)