均整忍冬唐草文軒平瓦
現幅32.5㎝
飛鳥時代(7C後半)
法隆寺出土と伝わる軒平瓦で、文化史の時代区分で言えば白鳳時代にあたります。
法隆寺は、天智天皇九年(670)の若草伽藍焼失後に、北西の丘陵に西院伽藍が再建されました。この瓦は、その西院伽藍の塔や金堂に葺かれた軒平瓦のひとつと思われます。
唐草文を採用する軒平瓦は、中国や朝鮮半島には見られないことから、日本で創意工夫されたと言われています。若草伽藍で使用された軒平瓦に一つひとつ手彫りした唐草文や、スタンプで型押しした唐草文が見られ、東院(斑鳩宮)や西院伽藍の頃には文様全体を型抜きした左右対称の唐草文(均整忍冬唐草文)が採用されました。
日本では明治時代以降にスイカズラに似ることからつけられた「忍冬唐草文」という呼称が定着していますが、扇状に広がる棗椰子(ナツメヤシ)の葉を図案化したいわゆる「パルメット」で、ギリシア・ペルシア・中国など各地で豊穣の象徴として好まれました。
瓦当面中央に宝珠形の中心飾りが配され、その両側にパルメットが反転しながら展開します。左右対称ながらも蔓の太さや唐草の流れに変化をつけた流麗な表現は、法隆寺金堂の釈迦三尊像光背などに見られる唐草文や金堂壁画「飛天」の翻る天衣を想起させます。
美術史的価値はもちろんのこと、木製の型(笵)を使用したことがわかる木目や屋根の隅に葺くための打ち欠きをとどめるなど、製作技術や屋根形態を考えるうえでも高い価値をもつ軒平瓦です。
(石谷)