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和同開珎銭笵12点(伝長門国鋳銭司出土)

現長2.2~7.8㎝

奈良時代(8世紀)


和同開珎を鋳造した銭笵(鋳型)のかけらです。「和同開珎」の文字をとどめる銭面側の鋳型5個体分、背面側4個体分が含まれます。

そのうち7点は、「覚苑禅寺 和同開珎鋳型」と書いた箱に納められています。蓋裏には大正元年(1912)十一月に長門の法輪山(覚苑寺:山口県下関市長府町)の境内で発見されたと記され、方印から住職であった進藤瑞堂による記録であるとわかります。


『続日本紀』に、天平2年(730)3月に周防国内の2ヵ所で採掘した銅を「長門鋳銭」に充てたという記述があり、現地では発掘調査において鋳型や鞴羽口・坩堝などの出土も確認されています。

平城京でも和同開珎の鋳型や精良な「母銭」が出土しており、各地の鋳銭司では中央で複製された種銭の供給を受けて鋳型をつくり、和同開珎の量産を行った可能性が指摘されています。

しかし、平城京出土の鋳型と当研究所の鋳型はどちらも母銭と同じく銭径(銭部分の直径)約2.6㎝で、くりかえし鋳型を起こす工程で生じる収縮が認められません。生産や流通についての謎はまだまだ残されています。


本資料は、2021年度に樹脂溶剤を用いた補強・接合と保管台の作製を実施し、展示・研究への利便性が高まりました。謎を解くために、今後もさらなる研究が望まれます。

(石谷)

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