素弁十一葉蓮華文軒丸瓦
径15.1cm
飛鳥時代(6世紀末)
飛鳥時代(6世紀末)
奈良県明日香村橘寺出土と伝わる蓮の花の文様をあしらった軒丸瓦で、中房に6つの蓮子を、周囲に11葉の蓮弁を配します。花弁は突線で区切り、先端の中央に珠点を置いて反り返りを表現します。発掘調査でも、少量・小片ながら類品が見つかっています。
本品は寛政の改革で知られる老中・松平定信(楽翁)が蒐集したものです。裏面に採集地「大和□」の朱書きがあり、最後の一文字は判読できませんが、考古学者・高橋健自によって「橘」と読まれたようです。
日本で初めて作られた瓦は、崇峻元(588)年、蘇我馬子によって創建された飛鳥寺に用いられ、導入には朝鮮半島の百済から「瓦博士」と呼ばれる技術者が呼ばれました。そのため、この時期の蓮華文軒丸瓦の意匠は百済の寺院に用いられたものと酷似し、その淵源は仏教の栄えた中国の南朝梁に求められます。
再生を象徴する蓮華文は仏教美術に盛んにみられ、瓦当にも採用されます。当初は本品のようなシンプルな図案でしたが、花弁の重なりを表現するなど、時期が下がるにつれ複雑な意匠へ変化します。
飛鳥寺からは蓮弁先端に切れ込みを表現するもののほか、本品と同じ珠点をいれる型式の軒丸瓦が出土し、考古学では前者を「花組」、後者を「星組」と呼び分けています。それぞれ製作技術も異なるため、渡来した技術に2系統があり、日本で異なる集団によって作られたと考えられます。
(馬渕)