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ほうどうはいだて ひざよろい
宝幢佩楯(膝鎧)


高65.0㎝ 
室町後期(15~16世紀)

佩楯は膝鎧ともいい、腰から太ももを覆う「草摺(くさずり)」とすねを護る「臑当(すねあて)」のあいだの隙間、ももから膝のあたりを防護する小具足です。
 
本品は左右に分かれた布帛(家地)の下端に、脚の形状にあわせて半円形に組んだ小札(こざね)板3段を熏韋(ふすべかわ)で威(おど)し、さらに3分割した小札板1段を垂らします。
小札は左肩を斜めに削ぎ札頭を漆で盛り上げた「盛上本小札」で、すべて革製とみられます。
 
このような形式の佩楯は、儀礼や仏堂の荘厳に用いられた宝幢(はたぼこ)に似ることから、宝幢佩楯とよばれています。
「秋夜長物語絵巻」(メトロポリタン美術館)や「十二類合戦絵巻」(個人)などの絵巻物、「細川澄元像」(永青文庫)をはじめとする戦国期の武将肖像に描写されており、室町時代に使用されたことがわかります。
近世になって姿を消しますが、復古甲冑の流行にともない、江戸後期にはやや平面的に変化した形で制作されます。
 
宝幢佩楯は現存する佩楯として最古の形式とされ、大阪・金剛寺、兵庫・太山寺、愛媛・大山祇神社などの類例が知られていますが、室町時代にさかのぼるものは稀少です。
本品の家地は近代の後補で、小札を覆う漆塗や熏韋も傷みが少なく、目視できる表面部分は総じて近世以降の処置とみられますが、古い形式を伝える研究上貴重な遺例のひとつと言えるでしょう。
 
なお、本品は刀剣コレクターとして知られる河瀬虎三郎(1888~1971)の旧蔵品で、昭和10年12月18日に重要美術品に指定されています。
讃岐の豪農・揚(あげ)家旧蔵品との情報もありますが、現在それを裏づける資料は付属していません。
(川見)

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