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田能村直入筆 白衣観音図

118.7×40.5
明治3年(1870) 絖本着色 


田能村直入(1814~1907)は江戸後期の田能村竹田に学んだ文人画家で、幕末~明治の大坂や京都で活躍しました。特に京都府画学校(現、京都市立芸術大学)設立を建議し、初代校長を務めたことで知られます。日本画と西洋画が支配的となり、漢詩や書道を前提とする中国風の文人画が次第に疎外されていった明治画壇において、直入は時代の潮流に抗いその振興に尽力しました。
 
多種多様な画題を手がけた直入は仏教の信仰も厚く、文人画家としては珍しく謹直な仏画も数多く描きました。本作は葉上に立って合掌する白衣観音と仰ぎ見る善財童子を描き、上部に楷書で般若心経を写しています。
 
観音の顔は、淡彩の隈取りなど江戸時代から黄檗寺院に伝わる明末の画家、陳賢の観音図の技法を基礎としつつ、形式化した手本からは得られないような生気ある表情もたたえています。直入には五百羅漢の顔をすべて違えて描いたという逸話も残っており、仏教の尊格を描く際にも人間的な表情・活動を表現するよう心掛けていたようです。
 
観音の背後には袋入りの琴、経帙、松竹霊芝の生けられた青銅器を置いています。これは書斎中の文人肖像を思わせる道具立てであり、同時代の清朝絵画の影響も窺えます。直入の観音図には山水中に座するもの、美人画に扮したもの、さらには人力車に乗るものもあります。豊かな表情を覗かせる顔貌表現とあわせて、観音を単なる図様ではなく人間と同じように活動する存在として描き出す意識のもとで制作されたと思われます。
(飛田)

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