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そんしょうたく  おうしこう
孫承沢・汪士鋐ほか 清人扇面法書冊

縦17.1cm 横50.8cm
清初期(17世紀後半〜18世紀初頭)

清の康熙年間(1662~1722)の官僚20人によって書かれた扇面をまとめた冊子で、顔光敏(1640~86)のために書かれた17点、顔光敏自身の書1点、光敏の子・肇維に贈られた2点から成ります。顔光敏は顔回(孔子の弟子)の子孫で、科挙に合格し吏部郎中などをつとめました。彼の曽孫・崇槼が編集した本冊は、清朝官僚の交友を伝える貴重な資料と言えます。

書者は5人が内閣大学士や六部尚書といった大臣クラスで、顔光敏も参加した勅撰地理書『大清一統志』編纂の責任者・徐乾学などを含みます。また、光敏の墓誌銘を書いた朱彝尊ら、博学鴻詞科(『明史』編纂のため文学に優れた者を在野からも広く募った試験)の採用者が6人含まれるのも特徴です。書の腕前は科挙の順位や昇進を決めるポイントとなったため、清朝官僚の書は高い水準を誇りました。

以下、書道史的に特筆すべきものを二点紹介します。

孫承沢(1593~1676)は書者の最年長で、明清二朝に仕えた「弐臣」の汚名を着ながらも書画収蔵家として名を残し、その鑑賞録『庚子銷夏記』は当時の書画流通の動向を伝える重要史料となっています。本作は明の文徴明の詩を北宋の米芾の筆法で清書したもので、扇の折れをまたいで激しい抑揚を利かせ、彼が著作に述べる米芾への傾倒を裏付けます。

汪士鋐(1658~1723)は比較的若い世代で、書家として名声のある人物です。唐の陳懐志「北嶽府君碑」を品評した明の盛時泰の文章を、大ぶりの草書で書いています。大胆な動きは懸腕法(肘を浮かして書く方法)によると思われ、墨継ぎを抑え渇筆を駆使しています。流暢な反面、柔弱とも言える書風は、当時流行した帖学派の一側面を示しています。
(飛田)
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