ちんせん か き
陳撰 花卉図冊
縦20.3cm 横31.3cm
清中期(18世紀半ば)
淡く繊細な筆致で虞美人草(ヒナゲシ)を描いています。四本の茎は鋭い線を平行・対称に配し、緊張感と躍動感のある構図を作り出します。つぼみは高く伸びて下向きにたわみ、花は正面と側面を的確に描き分けます。葉は染料のにじみによって輪郭のギザギザした切れ込みを表現します。
題詩は清の徐昂発「虞美人花三首」をもとに編集したもので、項羽の寵姫であった虞に思いを馳せる内容です。ヒナゲシは虞の墓に咲いたことから悲劇のイメージを重ねられ、「虞美人草」と呼ばれました。
本図は全13図からなる画冊の一頁です。頁によって寸法が異なるため元来のセットかどうかは検討の余地がありますが、水損・虫損の位置が一致する箇所も多く、比較的早い時期からまとめられたと考えられます。
筆者の陳撰(1678~1758)は寧波出身で、揚州に身を寄せました。官につかず、画も売らず、パトロンのもとで詩書画に専念したといいます。当時、揚州は中国一の繁華を誇り、富裕な商人の支援のもと、斬新な作風や思想をもつ芸術家を多く生み出しました。後世の批評家はそこから傑出した八人を選んで「揚州八怪」と呼び、陳撰もその一人に数えられることがあります。
ただし、陳撰の清廉な作風や売画をいやしむ態度は、近代に作られた自由奔放な「八怪」イメージに必ずしもあてはまりません。本作には前世代の惲寿平や八大山人の影響も明瞭であり、より伝統的な文人花卉画から揚州八怪へと向かっていく転換点に位置づけられるというべきでしょう。
題詩は清の徐昂発「虞美人花三首」をもとに編集したもので、項羽の寵姫であった虞に思いを馳せる内容です。ヒナゲシは虞の墓に咲いたことから悲劇のイメージを重ねられ、「虞美人草」と呼ばれました。
本図は全13図からなる画冊の一頁です。頁によって寸法が異なるため元来のセットかどうかは検討の余地がありますが、水損・虫損の位置が一致する箇所も多く、比較的早い時期からまとめられたと考えられます。
筆者の陳撰(1678~1758)は寧波出身で、揚州に身を寄せました。官につかず、画も売らず、パトロンのもとで詩書画に専念したといいます。当時、揚州は中国一の繁華を誇り、富裕な商人の支援のもと、斬新な作風や思想をもつ芸術家を多く生み出しました。後世の批評家はそこから傑出した八人を選んで「揚州八怪」と呼び、陳撰もその一人に数えられることがあります。
ただし、陳撰の清廉な作風や売画をいやしむ態度は、近代に作られた自由奔放な「八怪」イメージに必ずしもあてはまりません。本作には前世代の惲寿平や八大山人の影響も明瞭であり、より伝統的な文人花卉画から揚州八怪へと向かっていく転換点に位置づけられるというべきでしょう。
(飛田)