しょうあい ほうとうげん
蔣藹 倣董源山水図
縦94.0cm 横42.7cm
清初期・康熙3年(1664)
垂直に聳える群峰と水辺の村落を描いた山水画です。山塊を積み重ねた主山は、正面側に代赭(赤茶色)を塗って陽光の反射を表します。山をかたどる線は、やや滲んだ淡墨線と先の割れた渇筆線を併用し、熟達した筆技を見せます。山腰の林は山あいから湧き出る雲煙に段階的に霞ませることで遠近感を生んでいます。山の左奥から手前に回りこむように江水が流れ、遠方から帰ってくる小舟が橋をくぐろうとし、茅屋では二人の高士が語らっています。
明末、松江(現在の上海市松江区)は董其昌ら著名な文人画家を輩出し、芸苑の中心となりました。董其昌は地元の職業画家である趙左・沈士充らを指導し、画の代筆を依頼することもありました。
この絵の筆者、蔣藹はその沈士充の弟子で、明末の天啓・崇禎年間(1620〜1644)に活躍した人物とされますが、年紀に記された干支「甲辰」はこの期間に収まりません。しかし、沈士充が蔣藹に贈った「長江万里図巻」(上海博物館蔵)の跋文から蔣藹が清初まで活躍していたことがわかり、本作の年代は康熙3年(1664)に確定できます。
樹林を雲煙に霞ませる技法や橋を描く屈折した線描には師である沈士充の作品との類似を確認できますが、明末の松江の絵画に比べると水平・垂直を意識した平穏な構図となっており、ここには王時敏など同世代の他派画家と共通する傾向も見いだせます。松江の職業画家の画風が清初に入ってより形式的に整った段階を示していると言えるでしょう。
(飛田)