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太刀 銘 國光

刃長80.3㎝ 重823g

鎌倉時代(13世紀) 重要文化財


身幅はやや狭いものの厚みがあり、手に持つとずっしりとした重みを感じます。
腰反りがやや深く、鋒(きっさき)を小さく作る品のある姿から、鎌倉時代も早い時期の製作とみられます。
 
つんだ小板目の鉄地にはぼんやりと白く“映り”が立ちます。
幅が狭い直刃調の刃文は、よく見ると浅くゆったりと波うっています。
その輪郭は鮮明に見え、こまかく沸(にえ)がついています。
 
茎(なかご)のなかほどでサビの様態が異なっていることから、後世に短く切り詰める“磨上げ(すりあげ)”が行われたとみられ、本来15㎝ほどは長かったと考えられます。
サビが新しい箇所にあけた最も刀身寄りの目釘孔が現状のもので、他に二つ茎尻寄りに並んであけられています。
 
銘にある国光は“地景”や“金筋”のない作風や銘の特徴から、鎌倉後期に相模国で活躍した新藤五国光ではなく、山城粟田口派の国光とみられます。
ただし現存する遺作は少なく、太刀ではほかに徳川家康が寄進したと伝えられる養老寺(岐阜県養老郡養老町)の所蔵品(銘国光、重要文化財)が知られています。
 
粟田口の地は近江国から京の市中への出入り口にあたる交通の要衝で、鎌倉前期の成立とされる『宇治拾遺物語』にもここに鍛冶が居住していたことが記されています。
初期の国友や久国、国安、国綱らは後鳥羽院の御番鍛冶にも選ばれており、鎌倉中期にかけて国光のほか、則国、国吉、吉光などの名工を輩出しました。

(川見)

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