さゆうなまこすかしおだわらふくりんつば
左右海鼠透小田原覆輪鐔
無銘 伝平田彦三
8.1×8.1㎝ 厚さ0.5㎝
江戸時代(17世紀)
銅を用いた円形の鐔で、茎(なかご)孔の左右を海鼠(なまこ)形に大きく透かし、周縁には真鍮の覆輪をかぶせます。
下地には丸太の年輪のような同心円状の線を彫り(翁鑢 おきなやすり)、海鼠透かしの角を削って丸く仕上げます。
覆輪は内側にすき間なく並んだ小さな連珠文、厚く作った外縁との境に大きめの珠を等間隔に打ち出して波のような独特の文様とします。
これは愛好家のあいだで「小田原覆輪」と称され、平田彦三の創意ともいわれます。
平田彦三(?~1635)は細川忠興に仕えた松本因幡守を父として生まれましたが、父の没後は幼年のため家督を相続せず、忠興の命により白銀細工の修行をして家業としたといいます。
細川家の肥後移封にしたがって八代袋町に屋敷を拝領し、おもに銅や真鍮など鉄以外を素材とした鐔の製作にあたりました。
彦三作と目される鐔にあしらわれた唐草などの文様には南蛮美術の影響を思わせるものがあり、覆輪の意匠も舶来品から学んだ可能性があります。
蛍光エックス線分析による組成調査の結果、本作には約99.5%という高い純度の銅が用いられており、覆輪は銅に約26%の亜鉛をまぜた真鍮とわかりました。
銅の部分には濡れたような艶があり、漆のような有機物が塗布されているようです。
(川見)