本文へ移動
からまつ  ことじ  つば
唐松に琴柱文鐔

無銘 伝西垣勘四郎

7.5×7.0㎝ 厚さ0.5㎝

江戸時代(17~18世紀)


格子状の刻みに金を埋め込む布目象嵌の技法により、表面に墨画風の松樹、裏面に琴柱をあしらった鉄鐔です。
 
中国では古来、吹きつける強風に屈しない松はすぐれた人物の比喩とされ、またその清新な葉擦れの音も松声、松韻、松籟、松濤などと呼ばれて愛されてきました。
隠逸の士として知られる陶弘景(梁 456~536)は松に吹く風を好んでその響きを楽しんだといい(『梁書』陶弘景伝)、西晋・左九嬪「松柏賦」に「長風に応ずるに鳴条を以てし、糸竹の遺声に似たり」とあるのをはじめ、しばしば管弦の音色にも喩られました。
 
竹林七賢のひとり、魏の嵆康(223~262)の作と伝えられる琴曲「風入松」があり、また初唐の詩人・李嶠(645頃~714頃)の「月影秋扇に臨み、松声夜琴に入る」(「風」)、王勃(650~676頃)の「蘭気山酌に薫り、松声野弦に韻く」(「聖泉宴」)など、松声と琴をあわせて詠んだ詩も少なくありません。
 
本作における松と琴柱の組み合わせは、三十六歌仙のひとり、斎宮女御(929~985)が「松風入夜琴」を詠った和歌「琴のねに峯の松風かよふらし いづれの緒よりしらべそめけむ」(『拾遺和歌集』巻八雑上)や、明石上が光源氏から贈られた琴をかきならし、それに松風が響き合うという『源氏物語』松風の帖などにもとづくとみられ、松風と琴が日本においても強く結びついているのがわかります。
 
無銘ながら肥後細川家お抱えの鐔師・西垣勘四郎(1613~93)の作と目されており、周縁部を土手状に厚く作り、鍛え目の凹凸をのこした下地は古風にみえます。
整った意匠から製作年代はやや下がる可能性はあるものの、同流派の初期における高い水準の作品といえます。

(川見)

TOPへ戻る