ふがくずこづか
富嶽図小柄
無銘 平田
9.8×1.4×0.7㎝
江戸時代前期~中期
金属の表面にガラス質の釉薬を焼きつける七宝の技法を用いた小柄です。
中央には山頂に雪をいただく富士山、左方には三保の松原とみられる3本の松を配します。
水色と白色のほか、ところどころに赤系統の釉をまじえ、金線や金銀の粒を象嵌します。
手前には金、銀により岩山形、右の山すそには金銀の粒による塊を作ります。
中景・近景の山並みや清見寺、浅間社、駿河湾の景物と考えられますが、何をあらわすか判然としません。
『江都金工名譜』(文化七年〈1810〉刊)などによると、慶長年中(1596~1615)に平田道仁(彦四郎 ?~1646)が朝鮮人より「七宝流し」の技法を伝授されたといいます。
その子孫は代々幕府の御用七宝細工師として扶持を受けながら、近代に至るまでこの技法を用いた金具を制作しました。
銘がなく作者不明の本作もそのひとつとみられ、類品のなかでは表現や状態から比較的古いものとみられます。
右方に十二支で方角を示した方位磁針が取り付けられているのが珍しく、現在でも動作しています。
中国でピンの上に磁針をのせた旱鍼(かんしん)が実用されるようになるのは明代のことで、西川如見『両儀集説』(正徳四年〈1714〉自序)には長崎製の方が優秀であると記すことから、このころすでに日本国内でも製造されていたことがわかります。
七宝という技法も相まって、かなり特殊な注文に応じた作品であることが窺えます。
(川見)