ごとういちじょう ずいうんすかしつば
後藤一乗 瑞雲透鐔
銘:天保六未年長月応需作之 後藤法橋一乗(花押)
7.2×6.6×0.5㎝
江戸後期・天保6年(1835)
銅に銀を四分の一ほど混ぜた「四分一(しぶいち)」の地がねを、半月よりも幾分ふくらんだ更待月(ふけまちづき)の形にくりぬき、たなびく雲を透かし残して雲間にのぞく月を表現します。
透かした角を削って丁寧にまるみをつけ、鋤き下げた下地にこまかく鎚目を打ちならべることで、ぼんやりと霞がかったように光る月夜の情景にみえます。
雲は形に変化を付けるだけでなく、表側に浮き出る部分と裏側に出るものをたくみに配置して、奥行きを生んでいます。
後藤一乗(1791~1876)は幕府御用彫物師・後藤家の分家のひとつ・七郎右衛門家の四代重乗の次男として京都に生まれ、同じ京後藤である八郎兵衛家の跡目を相続しました。
文政7年(1824)には光格天皇の御剣金具一式の制作を命じられ、法橋位に叙せられたのを機に光代と名乗り、一乗と号しました。
門下からは船田一琴、和田一真、橋本一至、荒木東明など多数の名工を輩出し、自身も明治に至るまで後藤家の作風にとらわれない優れた作品を多く制作するなど、幕末における刀装金工の最重要人物といえます。
金や銀によるきらびやかな加飾のない本作ですが、ひとつひとつの雲の形と配置にこだわることで、あっさりとしたなかに洗練された優美さが感じられます。
精緻な技巧に目が行きがちな刀装具ですが、むしろ文化や教養を背景とした高い趣味性が見どころでしょう。
意匠と技術、表現力が高い水準で合致した一乗の最も充実した時期の作であるとともに、京都の地で培われた美意識が反映された逸品です。
(川見)